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難聴者が見た「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」感想編②


去る12月23日(土)に、NHKで「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」の後編「もう1つの家族」が放送されましたね!

多くの方が感想を投稿しています。私はろう者でもコーダでもない「中途難聴者」ですが、ドラマを見て印象的だったこと、感じたことをお伝えしたいと思います。

聴覚障害のある家族のカタチ

ドラマでは、「家族を守ることが、コーダである私の役目だと思っていました。でも、家族に守られていたのは、私のほうだったのです。」そして、「どんなことがあっても私たちは家族です」 と語る場面があります。

親が身体的に大変な分、子どもが親の役割の一部を背負わざるを得なくなってしまうことは多々あると思います。ヤングケアラーの問題も、もしかしたら同じかもしれません。

 私も時として、外出時などで聞こえづらいとき、無意識に妻や子に通訳や言い直し、代返をするよう頼ってしまうことがあります。このことが逆に、妻や子に過度に役割を押し付けてしまって負担になっているのではないか、と不安になることがあります。家では、一度に話されると聞こえづらいんだよ、とか、1階にいるママの声が、何言っているかわからないんだというようなことを子どもにもオープンに伝えるように心がけています。

 子供たちも、階段を上がり下がりして伝言してくれたり、バイブが鳴っても気づかない私に携帯を持ってきて教えてくれたりサポートしてくれます。

お互いに素直に伝えあいながら、これが私たちの家族の在り方なんだ、と後で振り返ったときに言えるといいなと思いました。

また、「気づいてもらえなかった子どもも寂しいけれど、気づけなかった親はもっと寂しい」と言う場面もあります。

 私も、子どもが小さいとき、夜泣きにはまったく気づきませんでした。妻が一人起きて、授乳を頑張ってくれました。

今も、子どもが夜中にトイレに起きたり、せき込んだり、夜泣きをしていても、気づくことはあまりありません。あとで朝になって、「夜中は大変だったんだ」と聞くと、なんで起こしてくれなかったんだ?と思うと同時に、辛い思いをした妻や子どもに申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります。

「ただ聞こえるだけ」

ろう者である兄に向って放ったこの言葉には、とても重たいものを感じました。

コーダにとっては、ただ、その環境に生まれただけで課された役割や重責、期待。

一方、難聴者である自分にとっては、逆に、同様の言葉である「ただ聞こえないだけ」(聞こえづらいだけ)というこの言葉をどう定義するのか、考えてしまいまいた。

「ただ聞こえないだけ」ではあるけれど、それが大きな違いであることを実感しています。

かつての私は、悲観的に捉えてばかりいました。おかげで、過去の交友関係を断ち、自信をなくし殻に閉じこもっていました。

有名な「メラビアンの法則」によれば、聴覚から得られる情報は、38%と言われています。それ故、情報格差が生まれ、コミュニケーションの困難さが発生します。

難聴がわかってから、私はいくつかの夢を諦めました。

国際協力の現場で活躍すること、会議の苦手意識から今の会社での昇進(管理職)を目指すこと、学生時代に吹奏楽部員だったことから再び市民吹奏楽団で楽器を演奏すること、などです。

一方で、ギャローテッド大学の元大学長アーヴィング・キング・ジョーダン氏がいうように、「(ろう者は)聞くこと以外はなんでもできる」というように、プラスにも捉えられます。単なる個性だと。

今は、ミミノバの事業を考える中で、ろう者や難聴者の役に立ちたいというふうに思うようになったことから、むしろ、オンリーワンの個性になりうる、難聴をプラスに捉えることができるようになりました。

みなさんは、環境によって、視点が大きく変わってしまうこの言葉を、どのように捉えるのでしょうか。

デフ・ヴォイスが描いた内容は、多くの点で共感し、また、私の知らないろう者の世界を垣間見ることができました。

聴覚障害者をめぐる社会の在り方を考える、とても素敵なドラマだと思います。


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